廃止から50年が経った玉電が走った場所を歩く
1969年5月10日に玉電(東急玉川線、砧線)が廃止になりました。それから50年が経過した2020年1月に玉電が走った場所を歩いてみました。
以前、玉電の発着場所だった旧玉電ビル(写真左側 現 東急百貨店 渋谷駅・東急東横店)このビルも今年取り壊される予定
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、ここで玉電について簡単に説明します。
玉電は、当時の玉川電気鉄道が1907年に開業させた路線で、1969年1月時点で、渋谷から二子玉川園(玉川線)、二子玉川園から砧本村(砧線)、三軒茶屋から下高井戸(通称下高井戸線)の3路線がありました。渋谷から二子玉川園間は道路との併用軌道区間が多くありました。
太平洋戦争後のモータリゼーション化と世田谷区の人口増加により、道路渋滞と輸送力の問題が大きくなってきました。そこで、玉川通りの上部に首都高速道路を建設し、その地下に玉電に代わる地下鉄が整備されることになりました。玉電の線路は撤去する必要があり、1969年5月10日をもって運行が終了し、廃止されました。この時、残りの2線については、明暗が分かれ、二子玉川園から砧本村間は廃止、三軒茶屋から下高井戸間は世田谷線として存続することになりました。
玉川通り沿いにはほとんど面影が残っていません。写真は、池尻停留場付近の池尻稲荷神社。この手前を玉電の線路が走っていましたが、現在は下り車線になっています。
しかしながら、渋谷駅から向かって駒沢大学駅を過ぎたあたりからは、玉川通りを外れ、専用軌道部分も多かったことから、道路形状から推察することは可能です。写真は桜新町から用賀間の下り坂。以前は専用軌道でしたが、その後道路が整備されました。
砧線は廃線跡が遊歩道化および道路化されたので、ほとんどの区間で走った形跡を見ることができます。写真の歩道が広くなっているところは、中耕地駅だった箇所で、ホームがあったため場所が広くとられています
写真は野川を渡る吉沢橋です。橋自体は2007年に架け替えられていますが、ここも砧線の橋梁がありました。橋には当時の玉電車両のレリーフがあります。
各停留場付近については、それぞれのページごとにまとめましたので、下記リンクからご覧ください。